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『仮面家族』(一輝編)
『戒め』(周藤編)
『渇望』(遊佐編)
『不機嫌な日々』 (智也編)
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『不機嫌な日々』(智也編)
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苛立ってた。
ムシャクシャしてた。
力任せにドリブルで突っ込んだ。
前で守ってた新人の1人が吹っ飛んだ。
「高見!止まれって!」
誰かが叫んだ。だけど、止まらなかった。
頭ン中の血管が膨れる。自分でもヤバイ状態なのは、分かってる。
目を開けているのに瞼の裏に浮かぶのは、さっき見たあいつの顔。
安心し切った表情で、あの男の胸に抱かれていた、あいつの──…
「高見ッ!!」
…鈍い衝撃音と共に、目の前が真っ赤に染まった。
唐突に熱から解き放たれて、冷たい痺れが背筋を駆け上る。
体がバランスを失って倒れる一瞬が、妙に長く感じた。
ああ…なんつーか、馬鹿だなあ、おれ。
***
────それは、思えば初恋だった。
そして、それを恋だと自覚した瞬間は、同時にその恋が終わった瞬間でも、あった…。
「はあ……」
「…おい、どーした智也」
無意識の内に漏れた溜息に、ホールのバイト仲間が怪訝な顔をする。
昼時も過ぎて客足もまばらになり、テーブルにはフリードリンクで居座ってるわりと見慣れた数人の客だけ。ウェイターは必要無い。
忙しさの合間にぽっかりと空いた時間は、却って苦痛だ。
今日という日にこそ、おれはがむしゃらに働きたかったのに。
「どーした、って…。おれがため息ついちゃいけねえのかよ」
「ちげぇよ。お前、部活でスッ転んで頭打ったって言ってたじゃねえか。具合悪いのかって心配してんだよ」
「ああ…これか。…大したことねえから。平気平気」
保健室で適当にくっつけられたガーゼをさすって、傷の在処を確かめる。
正確には、頭を打ったのはスッ転ぶ前だ。部内で一番ごついディフェンダーと正面衝突。だけど、そんなことは面倒臭くて訂正する気にもなれない。
「でも、お前が怪我するなんて珍しいじゃん」
「まーな。…考え事して、ぼけっとしてたんだよ」
「考え事?なんか悩みか?」
好奇心丸出しの声。
…うざってえ。
今日はマジでそんな気分じゃねえんだよ。察してくれよ。
「遊佐さんにでも相談してみれば」
「…相談、ねえ」
「あの人大抵なんでも解決してくれんじゃん」
「まあな。…時間あったら聞いてみる」
本当はそんな気がサラサラなくても、会話打ち切るためのとりあえずの答え。
確かに遊佐さんは頼りになる。
ここのレストランの店長代理をやってる遊佐さんは私生活とか一切不明な謎の男だけど、口も頭もよく回る人で、常にバイトから相談を持ち込まれたりしてるらしい。
おれはまだ相談なんかはしたことないけど、何かあったら多分この人に話せばなんとかなるかもな、ってまず頭に思い浮かべるのが、遊佐さん。……そういう人。
でも、こればっかりはどうにもならない。
だからおれは、ずっと前に諦めたはずだったんだ。
それなのに。
「…なあ…。お前、恋してる?」
「はあ?なんだよ、いきなり」
「おれ……してぇんだよなあ…」
「……お前、やっぱ頭ヤバイんじゃねーの。智也」
頭はとっくにヤバくなってる。
それを改めて自覚したのが、今日ってだけの話だった。
許嫁なんてもんがいるって知ったのは、入学式の直前。
始めは冗談なのかと思った。でももちろんそうじゃないってことは頭の隅で分かってた。あいつはそういう類いの冗談は言わないタイプだったから。
おれはものすごいショックを受けていた。そして、こんなにもショックを受けている自分に、更にショックを受けた。
…おれ、こいつのこと、好きだったのか。
間抜けにも初めてその瞬間、自覚したんだ。
…まあ実際、気付くのが遅かろうが早かろうが、どうやら相当昔から決まってたらしい許嫁ってやつの壁が、おれを確実な失恋に導いただけだろうけど。
「…智也、女にふられたんだって?」
からかい半分の声音で、軽く肩を抱かれる。
店が終わって、汗の染み込んだウェイターの服から制服に着替えた直後の更衣室。
スキンシップの多い遊佐さんの匂い、なんだかもう覚えちまった。
男が香水かよって普通のおれなら思う。それを思わせないのが遊佐さんのさり気なくすげえところなのかもしれない。
「誰が言ったんすか。違いますよ」
「だって、恋したいとか言ってたんだろ?」
「まあ、それは…」
「誰でも良いのか」
「そんなの…違うっすよ」
「じゃあやっぱり、いるんじゃないか。想い人」
「……でも、無理なんす」
「相手がいるのか?彼女に?」
「はあ」
「奪っちまえばいいじゃん」
「…それができれば…」
「お前なら出来るよ、智也。だってお前カッコイイもん」
「な、何言ってんすか…いきなり」
「だってお前モテるじゃん。今日もお前目当てに来た女の子、何人いた?」
「…きゃあきゃあ騒ぐやつらは、得意じゃないっす」
「あっははは!そういうところが良いんだよなあ、お前は」
遊佐さんの軽快な語り口調。
この人と話してると、なんだかひとつの恋愛で落ち込んでる自分が馬鹿っぽく思えてくる。
しかも、既に終了してる恋愛で。
「…どうにかしようとは、思ってないんすよ」
「相手をか?」
「…下手に手ェ出すと、周りが全部、ブッ壊れそうな気がして…」
「へえ…。そりゃまた大層な相手に懸想したもんだな」
「…けそう?」
「恋ってこと。…にしても、お前今日なんかあったんだろ?ムカつくことが」
「やっぱ…分かりますか」
「分かるも何も、話聞いてるとその恋愛、昨日今日始まったシロモノじゃないんだろ?それが今日いきなりこの仏頂面なんだからよ、何かあったと思うのが当然だろうが」
「ぶ、仏頂面…してました?」
「ああ。モロにな」
「マジで…。ヤッべ…、すんません…!」
「お前、元の顔もこえーんだから気ィつけろな。まあそれはいいんだけどさ…なんかあったら、暴走する前にオレに声かけろよ」
「は、はい…ありがとうございます」
「おう。…じゃあな!おつかれ!」
***
…今日はトコトン、自己嫌悪の一日だった。
部活で怪我するわ監督にしこたま絞られるわ、しまいにはバイト先で店長代理に心配かけるわ……
低く唸って、制服のままベッドに突っ伏す。
カッコワリィなあ、今のおれ。
なんだよ、たかがあいつとあの許嫁が裏庭で抱き合ってんの、見たってだけじゃねえか。
あいつらはそういう仲なんだし、抱き合うどころか…普通の、恋人同士がする手順を踏んでいるのは、当たり前で。
「……やめろ、って…」
それでも、おれは呟いてしまう。
そういうこと、やめろって。無理だって。その先想像させんなって。
お門違いも甚だしい、けれど、そう思わずにはいられない。
だってあいつは、おれがずっと守ってきたんだ。
小さい頃からずっと隣にいて、あいつが泣いてれば慰めてやったし、駄々こねてれば宥めてやった。いじめられてれば仕返しに行ってやったし、迷子になれば捜しに行って、一番先に見つけてやった。
…それが、いきなり現れたあの許嫁とかいうヤツに、あっさり横取りされて。
いつから好きだったのかなんて、思い出せない。
ただ、微かな芽生えは覚えてる。それも相当、昔の話。
あいつは、人一倍人見知りが激しかった。
小学校でも1人、近所でも1人。
…そんなあいつには、おれしかいなかった。
心配になって、おれ以外とも話せって説得しても、ただ俯くだけで。
あいつ、端から見りゃ大人しいだけの女かもしんねぇけど、中身はおれも呆れるほど頑固。
おれみたいに全部顔に出るヤツとは違って、どうやら頭ン中で色々とこねくり回して結論を出している…らしい。
昔からずっとそんなんだったから、おれが何言っても、こうだと思ったら効き目ナシ。
あたしには、ともくんがいればいいんだもん、…なんて言いやがって。
そのとき、明らかにおれは浮かれてしまった。
あいつには、おれしかいないんだ。
そんな思い込みで、有頂天になった。
それがいずれ、悲惨な結果になるなんてこと、知りもしないで。
…自慢じゃないけど、おれの人生、少なくとも今まで負け知らずだったんだ。
そりゃ勉強は得意じゃねえけど、落第するほどひどくもないし、小さい頃からガキ大将ってヤツで友達多いのも自慢だった。
わりと、告白されることも多かったし…その中の何人かとは人並みに恋愛もしたし、ふられたことは1回もなかった。
…それが、1番身近にいたはずのあいつからこんなドデカイ敗北を味わわされるなんて…。
多分、近過ぎて、気付かなかった。
ありきたりな文句だけど、側にいて当たり前だと思ってたんだ。
何よりショックだったのは、許嫁がいるなんて重要なこと、あいつはこれまでおれに一切話してこなかったってこと。
不安は色んなところに飛び火して、もしかしてあいつにとっておれはどうでもいい存在だったんじゃないかって。
おれがあいつを守ってやってるんだって…勝手に思い込んでただけで、あいつにとってみりゃそこら辺の他人と変わらないポジションだったのかって…。
***
不機嫌は翌日も続いてた。
なにしろ夢にまで見ちまったから…よりによって、昨日目撃したあのムカつく場面の続きを。
「高見君、おはよう」
「…片桐か。ウス」
「あんたさ。顔怖い」
「るせぇな…ほっとけ。元からなんだよ」
「更に怖いっつってんのよ。その眉間のシワ、なんとかしたら」
「どうせお前みたいにいつも涼しい顔できねーからな」
「…いつまでもガキだと、あの子に嫌われちゃうわよ」
「……っ」
なんで、いきなりあいつのことなんか。
思わず反射的に力を込めて睨みつける。
地元の悪いヤツらビビらせたこともあるおれの眼力を、片桐は口元に薄笑い浮かべてサラッと受け流しやがった。
途端に気合いが萎えて、苦虫を噛み潰したような顔になる。
…ちくしょう。こいつだけはどうしても苦手だ…。
「…あの子が鈍感なのは、高見君のせいでもあるんだからね」
「ああ?」
「あんたがずっと睨み利かせてたから、あの子今まで恋愛らしい恋愛もしなかったのよ。だから今甲斐先輩にあんなに夢中ってわけ」
「…んなの…誰から聞いたんだよ」
「本人よ」
「はあ!?」
「だってあの子の昔話、いっつも出てくんのあんたじゃない。うっとおしい」
「うっとおしいって…テメエ…」
「それくらいべったりだったんでしょ。責任取んなさいよね」
「意味…わかんねぇ」
「ヤケになるなって言ってんの。…あの子はね、今先輩以外の何にも見えてないんだから。それくらい、分かってあげなさいよ。幼なじみなんでしょ?」
「……片桐…お前」
…なんでコイツ、こんな何から何まで知ったような口きいてんだ?
混乱する。一体、どうして。
相当アホ面晒してるおれに、片桐は少し声のトーンを落として囁く。
「…私も見ちゃった。昨日の…」
「……あ」
「部活行く途中、高見君が真っ赤な顔して裏庭から出て来たから、何かと思って見に行ったの」
「ぐっ…。は、話しかけろよ!この野郎」
「いやぁよ。あんたのデッカイ手で張り倒されたくないもの」
「お、女殴るわけねえだろ!」
「相当殺気立ってたわよ。話しかけられるわけないじゃない」
…はあ〜…。
思いっきり、頭抱える。
よりによってあの直後のおれをコイツに見られてたなんて…!
「…まあ、そういうわけよ。ちょっと頭冷やしなさいよね。もう昨日の話じゃない」
「るせーな…。分かってるよ」
「気分が落ち着くアロマでも貸してあげようか?」
「お前がいつも振りまいてるその線香みたいな匂いか?」
「失礼ね!!これはホワイトムスクよ!!」
…片桐は目ェ吊り上げて、プリプリしながらどっか行っちまった。
こえー女…。今の顔、おれの数倍迫力あんじゃねぇの。
なんであいつはこんなヤツと仲良いんだ…信じらんねえ。
…だけどとりあえず、片桐のお陰で、ちょっとは気分が収まった。
あいつ、おれの話なんかしてんだ。…じゃあ、どうでもいい他人ってわけじゃねえのかな。
ちょっとだけ嬉しい。いや、うそ。相当嬉しい。
…ていうか、こんなこと聞いただけで機嫌が直るおれって…。
「あ!おはよー」
「おはよう涼子!」
そのとき、あいつが教室に入ってきた。
片桐と挨拶を交わしたあと、少し教室に視線をさまよわせて、おれを見つける。
「…あ、智也!おはよう!」
「……おう」
…なんだかんだ言って、おれはアイツとこうしてられるってだけで、満足しちまうらしい。
マジで情けねえな…。
何にも知らない顔で笑いかけてきやがって。
おれは苦しいんだよ、胸が。お前のせいで。
心の中でひとしきり恨み言を吐いた後、目を閉じた。
昨日の光景は、少しだけ、薄れかけている。
日も暮れかけた静かな裏庭で抱き合う2人。
悔しいほど、サマになってた。多分、おれがあいつを抱きしめるよりも。
拳を握りしめて、息を吐いた。
──耐えることを覚えろ。いつまでもガキじゃない。
──何でもかんでも欲しいもんが手に入ると思うな。
ゆっくり、自分に言い聞かせる。
……だけど。
好きでいるくらい、構わねえよな?
誰にともなく、問いかけた。
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